2019年5月26日日曜日

父について

先週末、喪主として通夜と告別式を行ってきました。


親として感謝はしてるんですが単純に美化させておくのも勿体ないので、父の事を忘れないように良くも悪くも影響を受けたところを殴り書きでも良いからまとめようと思う。



一言で言えば不器用な人でした。

幼稚園児とキャッチボールして全力で投げてきたり(鼻血)や外出に誘えない事が多かった。晩年もここら辺は直ってなかった。また母も私も実は1人で過ごすのが好きな事に気がつけなかったし、言っても理解できなかったためよくイラついていた。

そういう事もあって私はここ4、5年前々までは実家にほぼ顔を出していなかった。帰省も年に1、2回位だろう。正直苦手な人であった。

記憶に残ったところを少し詳細にしてみる。


パチンコ、酒、タバコが好き

平日は酒を飲んでは絡み、ヘビースモーカーと分類していいほどタバコを吸っていた。手を出す人ではなかったのでそこは良かったかもしれない。休日は家族で出かけない時はほぼパチンコを打っていた。これは私が大学へ進学する時までこんな感じだった気がする。


人の話を聞かない

大体お土産を買ってきても人が嫌いな物だったり、今必要無いもの買ってくる事が多かった。聞いてから買ってくるという事を普段の買い物でもしなかったのでよく


本を読まない

活字だけでなく雑誌などもあまり読む人では無かった。漫画を読んだ所なんかも見たことがない。

関係してるのか集中力が無いのかあまり一つの事に集中できるタイプではなかった。
会話についても話を振る割に回答すると聞いてなかったりする事が多々あった。(これは面倒な質問してた事もあるかもしれない)


言葉使いに厳しい?

友達感覚の話し方が気に入らなかったらしく烈火の如く怒られた事がある。本人は酔った勢いだったのかもしれないが子供心に結構なショックを受けた事を覚えている。

それにより小学校高学年頃から周りの人間に対して敬語で喋るようになった。これについてはある意味感謝していて結果的に年代問わず知り合いができたし語彙力も上がったので良かったと個人的には思っている。
(親的にはよそよそしさが増して大学辺りで止めて欲しかったらしい)


最近「なんでずっと敬語なの?」って突っ込みが最近入ったのもあって理由を考えてみたらこういう事だったなと思い出した。


人のものを勝手に捨てる

よく確認もとらず母の物も捨てたりしていた。

私も邪魔だという理由からミニ四駆やMtGのケースだけ残して中身だけ捨てられるなんて事もされていたので単純に嫌がらせしたかっただけなのかもしれない。
この点に関しては年を重ねても全く理解できないため何かしら不思議な理由があったのだろう。


パソコンを早い内から使っていた
Windows95が発売される前から我が家はパソコンが有った。テレビも観れたキャンビーだ。

当時は気がつかなかったがキャンビーのメモリが48MBまであったりCPUも載せ換えられたりしていたことから、結構大分金かけてたと思われる。(当時のメモリの値段とかは高かった)
飽きるのも早かったのでパソコンは私の玩具になったわけだがこの流れがなければ今の職業に就くことも進学する事もなかったと思われる。

しばらくして自作ブーム辺りでもPCをよく買っていた。(Pen4頃)

秋葉原に着いていって買い物したりした事もあるので今考えれば良い思い出だった気がする。


車で走るのが好き

ここではない何処かへ連れて行ってくれる物だったので私で言うところのコンピューターだったのかもしれない。
私も昔から自転車や電車でフラフラするのは好きだったので晩年こういった事ができなくなった事は残念に思う。(体調が不安定になったのでそもそも外出が減った)


責任感は強かった

よく後輩に慕われていた気がする。
大体訪ねてくるのも同期か後輩が多かったので。
これは時代的な背景からあまり先輩とは私的につきあってなかったんだろう。趣味の車を通してよく知り合いの車の整備なんかを手伝ってた気がする。

葬儀も今付き合いがある人1人にひっそり伝えたが、結果どこからともなく同期の方など来てくださったので慕われていたのだと感じた。


勉強したかったらしい

また自分があまり勉強することができなかった背景から私は大学に行かせて貰うことになり、この点はとても感謝している。(元々就職希望だったので恩師の影響もある)の割に知らない事を話すと調べたりせず怒ったりするので話題によっては話さなかったりする。

ただ進学しなければ出会えなかった人達が多かったので本当に感謝している。


1人でする趣味がなかった

厳密には車を除く趣味がなかったため、晩年車で遠出できなくなった時が辛そうだった。

まあこれは男性の習性的(趣味の共有)に仕方がないが車しか趣味がなかったため、強制的に外出させられる事があり私はそうでも無かったが、母が「気分が乗らない」と言って休日の予定が噛み合わない事も多々あった。(あまり人の事は言えないが母も癖が強い)


人に相談しない

母にも黙って色々きめる事が多かった。

詳細は避けるが今まさに手続き関係でポロポロ出てきて聞いた時点で言ってくれよ。。という事が起きている。(借金などはない)

心配させたくなかったんだと思う。


日曜大工が得意

祖父が大工だった事もあり家自体の細かい事は1人で解決していた。天井の雨漏りや蜂の巣を解決したり、ボイラーを調整したりとそういった事は器用に行っていた。


そこそこ悪い事も書いているがそういった所も含めてとても影響を受けた人間だったと思う。
最後までお互いに理解し合えたかというと難しいが、感謝している事は伝える事ができたので良かった。


2019年5月23日木曜日

今朝

今朝、父が亡くなりました。

詳細は省きますが二年前から珍しい病気にかかっていて駆けつけた昨日の夜に症状が悪化しそのまま亡くなりました。

前から帰省してたのは様子を見にいっていたためです。


色々書き残したい事もありますがとりあえず1つ感謝していることを残したいと思います。

それはとにかく1人で過ごすことを許してくれた事。

1人で大学へ行くこと。1人で暮らすこと。

1人で動き回ること。1人で遊ぶこと勉強すること。

これらを許されていたからこそ今の自分や交友関係が生まれたと言っていいと思います。


もっと話しておけば良かった気もしますが元々話題をふっても返って来なかったりしてたので、ウチはこれくらいでも良いのかもしれません。


不器用な人だったと思います。

それでももう少し喋ってみたかったです。


それとひとつ体調を崩す前に約束していた鰻が食べに行けなかったのが心残りです。